昭和学報

【教員リレー】継続は力なり 昭和ボストン30周年を迎えて―増澤 史子教授

「教員リレー」とは

昭和女子大学の学校新聞「昭和学報」の一面で長きにわたり連載した『巻頭言』。
この度、学報をウェブ化するにあたり、巻頭言は『教員リレー』としてリニューアルしました。
昭和女子大学の教授陣によるエッセイを「リレー」形式で公開。毎月昭和女子大学の教授が、読者の皆様に大学での学びのエッセンスをお届けします。
第1回は昭和女子大学副学長・英語コミュニケーション学科の増澤 史子教授が執筆。本学の海外キャンパスである「昭和ボストン」について語ります。

“昭和ボストン”とは
英文名は”Showa Boston Institute for Language and Culture”。
世界中から留学生が集まる学園都市ボストンにある昭和女子大学の海外キャンパス。24時間体制のセキュリティ、現地の大学院生などの女性たちがレジデントアシスタントとしてサポートする寮生活、日本語で話せる常勤ナースが勤務するヘルスルームなど、安全・安心に学ぶ環境が整っていますので、はじめての海外留学に最適です。

継続は力なり 昭和ボストン30周年を迎えて ― 英語コミュニケーション学科教授 増澤 史子

2018年、昭和女子大学ボストン校は開学30周年を迎え9月14日にはその記念式が盛大に現地で催された。
どういう巡り合わせか1988年、私はこの昭和ボストンに第1期生を引率して渡米し、最初の3ヶ月半その開校に関わることになった。

昭和ボストン開校の式典にて。日本から持参したダルマに目を入れる。

1988年4月3日、日本で初めて正式に米国に海外キャンパスを設置、オープン、学生派遣ということで、初日からテレビ局、2局がボストンまで同行して密着取材。放映はされなかったが、機内で盲腸炎になった学生が最初から出てしまい到着と同時に私は他の学生を預けて病院に直行するという波乱含みの幕開けであった。


開設時、昭和ボストンに来た学生を歓迎。この場所は当時体育館。現在はカフェテリアになっている。

最初のグループはパイオニアグループと呼ばれ、全員希望制であったが126名もの学生が申し出てきた。保護者の大学への信頼は厚く、プログラムを終えて全員無事に帰国させなければという責任の重さに押しつぶされそうであったが、自分たちがパイオニアだという意欲の高い学生たちに助けられ最初のプログラムを終えることができた。

昭和ボストン。現在は快適な施設だが・・・

学生の寮室の改装は完成していたが、まだ設備が完全でなく、一部のWing(寮)では持っていたチョコレートが溶け出すほど熱くなり、
他のWingでは毛布を3枚かけても寒いといった状態が起こった。困ったことに、警報装置の感度が良すぎて、誤作動が多く、一度、一晩で、3回鳴ったことがあった。 
その警報が、表現しようのない、けたたましい、気持ちの悪い音なのである。 False alarm(誤作動)なので、それを止めれば終わると、簡単に思っていたら大間違いで、マサチューセッツ州の法律では、寝ていようが何をしていようが全員、建物から “evacuate(退去)”して安否確認の点呼が義務付けられていた。すぐに消防員の点検が終わり、許可が出たら、入室することができた。4月半ばとはいえ夜中は寒く学生は外で震えながら待っていた。一方、私は大きな斧を下げて歩き回っている背丈が2メール近くある消防員に付いて歩き、一刻も早くalarmを止めてと、食い下がったのであるが、自分たちは安全のチェック、警報を留めるのは別会社だと言われて、job descriptionの明確なアメリカを憎んだものである。仕事とはいえ何度も出動させられた消防署にも申し訳けないが、一晩、3回の誤作動は、もう我慢の限界でセンサーを新しい機種に取り替えてもらった。学生が ”false alarm”と “evacuate”という単語を一番に習得したことは間違いない。

昭和ボストンの近くのボートハウスにて。

現在、オフィスが置かれているエントランスも完成していなく、一部のオフィスはWing 5を使用していた。
学生部(Student Services)も、そこに設置され、学生たちはそのWingの廊下をFifth Avenue (5番街)と呼び、自分たちの生活の改善のための要望を英語で交渉。
もっともそのように仕向けたのであるが、想像以上に学生は頑張り、「今日は勝った」「今日は負けた」と、その交渉を遊び感覚で楽しんでいたようだ。
当然こういう積極的な学生の英語力はみるみる上がっていった。

現在もStudent Servicesは残る。ボストン滞在中の生活をサポートしている。

授業は当時では画期的で、まず1クラス12人から15人。当然ではあるが教員は全員アメリカ人。
日本では昭和女子大学だけではなく、どの大学もいわゆる英文科は文学の授業の割合が多く、訳読中心、1クラス50人や60人で受講。
「英会話」のクラスですら50人で行うという非生産的な状況であった。そういう中で英語しか使えない少人数制の授業は魅力的であった。
カリキュラムも現在のものに比べると非常にシンプルであるが、当時としては画期的なものであった。

昭和ボストンのインタラクティブな学びは現代にも受け継がれている。

日本のバブル経済を象徴する派手な催しにも遭遇した。ボストンのダウンタウンのCopleyにあるTiffanyが営業時間終了後に昭和の学生のために店内貸切で、Tea Partyを開き学生たちを招待したのである。理由はあまりのも明らかで言及する必要はないが、後にも先にも一度だけの出来事である。
草創の時期は苦労も多かったが、喜びも大きかった。今となっては良い思い出である。

昭和ボストン創立10周年の写真。
右端に人見楠郎第二代理事長。その隣に増澤教授。左から5人目が川平朝清名誉理事。左端に金子朝子学長。

昭和ボストン創立10周年を祝う。

1期生を始め、昭和ボストンで学んできたどのグループの学生たちもその時代の政治や経済の問題に直面してきた。
9/11の同時多発テロの時は環境デザイン学科の学生がサマーのプログラムでNYに向けて出発し、その数時間後、この事件が起こり、学生の乗った飛行機はアンカレッジに緊急着陸。その後NYのプログラムは断念。全てボストンでのプログラムに変更し、予定通り帰国。ただその裏では学生の安全をどうやって守るかというボストンと東京で、救出作戦が検討され、不謹慎かもしれないがまるでドラマのようであった。
この9/11をきっかけに米国留学のVISAが厳しくなり、VISA取得のために膨大な量の書類提出が要求され、米国に学生を派遣するハードルが上がった。
この辺りから、日本からアメリカへの留学者数が減り始めたが、昭和女子大は「花も嵐も踏み越えて」(古い!)どんどん学生を送り続けた。


パブリックガーデン。市民の憩いの場。

私が初めてこのボストンの街を訪れたのは1979年の春であった。アメリカ人と日本人の友人がそれぞれハーバードとMITで勉強していたこともあり、一度遊びに来るように誘われていた。加えて、高校時代にAFS生として留学していた時代のアメリカ人の知り合いが、今は亡きエドウィン・ライシャワー博士の秘書だったので、その紹介でボストンでライシャワー博士とゆっくり話すことができた。その時に、ライシャワー博士から日本人の学生の英語について「話す、聞くは苦手であるが、読み、書きはできるとか言っているが、とんでもない。どれもできない。 “the bottom of the world!” 」 と言われてしまった。厳しいお言葉、が否定はできなかった。日本をそして日本人を愛する博士の想いは十分すぎるほど伝わった。一生忘れられない日になった。のちに、昭和ボストンを始めるにあたり、ライシャワー博士を昭和ボストンの顧問にという依頼も試みたが、当時、健康状態があまりよくなく残念ながら実現できなかった。

チャールズ川。写真手前がビーコンヒル。写真奥左にハーバードとMITがある。

少し、昔話にスペースを取りすぎたようである。
ちょうど一世代にあたる30年を経て、肝心なのはこれからである。
ボストンは大学の街であり、世界中から次の時代を背負う若者が続々と集まっている。伝統と最先端の発想や技術が渦巻いている場所である。
その場所に本学が拠点を保持しているということが、いかに幸運であることか。
ボストンを経験した卒業生には私が言わんとすることは理解してもらえると思っているが、
まだ将来が見えない学部生には、他人事のように聞こえるかもしれない。
しかし、在学中にぜひ、一度、短期間でもよいので本学の昭和ボストンで勉強してほしい。
昭和ボストンへの留学という小さな点が、きっと皆さんの将来への長い線となって繋がって行くことを望んでやまない。

次回はグローバルビジネス学部ビジネスデザイン学科 磯野 彰彦 教授が登場します。

関連リンク

昭和ボストン30周年 1万3000人が”世界”へ羽ばたく(昭和女子大学トピックス・新規ウインドウ)
昭和ボストンのプログラム(昭和女子大学国際交流課ウェブサイト・新規ウインドウ)

プロフィール

増澤 史子(ますざわ・ふみこ)
昭和女子大学副学長。国際学部英語コミュニケーション学科教授。
1988年、昭和ボストンの開校に関わる。
ビジネス社会で英語がどのように機能しているかをビジネス・コミュニケーションと社会言語学の観点から研究している。ビジネス英語関連の授業を展開。「Business Communication」ではビジネス・シーンにおけるコミュニーションを取り上げている。英文契約書の読み方、英文履歴書やEメールの書き方などビジネス文書を学ぶことができる。「Language of Advertising(広告のことば)」では、広告で使用されているレトリック(文章表現を高めるための技法)の分析、広告のメッセージの裏にある日本語と英語の言語感覚や文化差について学習する。
好きなもの:地球儀とコーヒー

― 詳細な教員紹介はこちら(昭和女子大学教員データベース・新規ウインドウ)
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